ホークスとの出会い
自分は、横浜生まれの横浜育ちです(大学からは栃木県にいることが長かったですが)。まだ「みなとみらい」に移転する前の「けいゆう病院」で生まれました。
小学生の頃は京浜東北線で通勤するポンセ選手にお会いしたこともあります。であれば、大洋ホエールズ、今でいうDeNAベイスターズのファンになるところですが・・・。
昔は川崎にもプロ野球チームがあり、フランチャイズの球団がありました。
「ロッテ・オリオンズ」です。首都圏にありながら、子ども心に「これほど洗練されていない球場もすごいなあ。」と思っておりました(ロッテファンの方ごめんなさい)。
「試合中に客が流しそうめんをしていた」
「スタンドで子供たちがキャッチボールをしていた」
「カップルが試合そっちのけで・・・・」
と数々の伝説が知られている川崎球場。僕のホークス・ファーストコンタクトが川崎球場でした。
事の始まりは1986年発売の「ファミリースタジアム」という野球ゲームです。そのなかで「レイルウェイズ」というチームが好きだったのです。とにかく、よく打つチームでして対戦で使うと面白くて仕方ありませんでした。
その中に代打で「かどた」という選手がいました。代打で出すたびにホームランをかっ飛ばすので「かどた」に興味を持ち、調べてみると南海ホークスの「門田博光」選手でした。今のようなネット環境もなく、本屋さんで選手名鑑を調べ、門田選手を発見した衝撃は忘れられません。そこで、川崎球場に南海ホークスが来る試合を観に行こうと思ったわけです。
実際、球場で門田選手を観ましたが、それもまた衝撃でした。野球選手にしては大きくないのです。身長170cm。現・福岡ソフトバンクホークスの主砲・柳田悠岐選手は身長188cmです。お会いすると相当に大きい選手です。そして、門田選手。けっして大きくない体でフルスイングなのです(柳田選手もフルスイングですね)。腰をネジって、ネジってバチンというフルスイング(柳田選手は漫画「ダイヤのA」に出てくる轟雷市選手のイメージ)。3度目の衝撃でした。
また、白地に緑(やや濃いめの緑)のラインが入った南海ホークスのユニフォームがかっこよくて、一気に好きになってしまいました。それが1987年のことですので、実に30年以上ホークスファンというわけです。
そして迎えた1999年。長年の課題であった投手陣がある程度整備され、若い投手を中心に、中継ぎ投手陣の神がかった活躍、ついに初優勝を決めた年です。初優勝を決めた試合は、テレビにかじりついて観ていました(テレビ東京で生放送されていました)。
7回ウラに2-4から小久保選手が同点2ランを打ったときには絶叫し、8回ウラに井口選手が逆転ホームランを打ち涙、最終回はペドラザ投手が見事胴上げ投手になりました。城島捕手と王監督の抱擁はいまだに思い出しただけで涙が出そうです。
この後、何度かホークスの優勝シーンを目の当たりにしてきましたが、この99年の初優勝に勝るものはありません。
いまだにこの感動を味わえるとは便利な世の中になりました。